2008年 01月 07日
須賀神社 すがじんじゃ |
茅ノ輪をくぐって・・・・
このご神木は樅(もみ) 樹齢は八〇〇年。もとからこの処に高く聳えたっていたが、社殿の方向に傾いていたため、対象十二年に切り落とし更にしょうわ十一年に現在の姿に切り覆屋を建てた。
境内案内板より引用
小山市指定文化財(有形文化財 建造物)
須賀神社鳥居(すがじんじゃとりい)
須賀神社は牛頭天皇社(ごずてんのうしゃ)・祇園社(ぎおんしゃ)とも称され、祇園城主小山氏や小山の町衆たちから、広く崇敬を集めてきた。
承応(じょうおう)二年(一六五三)に小山町の旦那衆によって建立されたこの鳥居には、天下泰平(てんかたいへ)・国土安全(こくどあんぜん)・荘内豊饒(しょうないほうじょう)・諸人快楽(しょにんかいらく)を祈願した銘文が刻まれている。
鳥居は、神社の参道に建てられて神域を示すもので、元来は木造であるが、平安時代頃からは石造も現れる。
この鳥居は、島木(しまぎ)をもつ明神鳥居(みょうじんとりい)形式で、小山市に現存する最古の石造鳥居であり、規模も比較的大きい。
県内では指定文化財となっている日光東照宮の四基の鳥居に次ぐ古さを誇る、近世前期の貴重な鳥居である。
当初は参道に建立されたが、道路拡張のため現在地に移された。
柱間3.34m、中心高4,10m
指定年月日 平成一二年12月二十日
境内案内板より引用
須賀神社略記
●御社名
須賀神社と称す。
祇園社・牛頭天王(ゴズテンノー)・天王さまとも称す。
●御祭神
素盞嗚命 スサノオノミコト
大己貴命 オオナムチノミコト
誉田別命 ホンダワケノミコト
●御由緒
当神社の創建は、藤原秀郷公が天慶の乱に際して、日夜素盞嗚命に戦勝を祈願し、これが成就したことにより、天慶三年(九四〇)四月、京都の八坂神社(祇園社)から勧請し創祀した。
当初は宇北山(現中久喜)にまつられたが、小山城築城に際し、城の鎮守と仰がれ、平治年間(一一五九~六〇)に当地へ遷座された。以来、小山六十六郷(小山市全域に野木町、国分寺町、下石橋、結城市小田林地区を含む)の総鎮守と仰がれる。
徳川家康公は、慶長五年(一六〇〇)七月、当神社境内で小山評定(軍議)を開き、参籠して関ヶ原の戦勝を祈願した。祈願成就した事により、五十一石余の社領を寄進した。のち家康公の崇拝神社なる故をもって、家光公の命により、日光東照宮造営職人の奉製になる朱神輿(アカミコシ)が、当神社に奉納された。
昭和初期には、本殿、神輿殿、直会殿、大鳥居、手水舎、社務所などが竣工、同五十七年三月には、須賀神社会館が竣工して、年中の諸行事や結婚式場として、利用されている。
平成二年四月に創建一〇五〇年大祭を斎行し、これを記念して神門廻廊造営事業に着手し、同八年五月に竣工した。その後引き続き、社殿、末社、神輿殿、手水舎等の屋根銅板葺替工事、並びに、境内森林に檜苗木一千本を植栽し、境内施設整備をした。
参詣者は、小山六十六郷は勿論、県内外から広く厚い崇敬をうけている。
境内には、小山の伝説で有名な「七ツ石」(夜泣き石)や藤原秀郷公碑、小山朝政公碑、小山義政公碑、天狗党に参画した昌木晴雄翁碑、筆塚などがあり、神域の森には、杉、檜、欅、椿、銀杏等が生い茂り、多くの野鳥が棲息している。
境内案内板より引用
●所在地 栃木県小山市宮本町1-2-4 googleマップ
by nasudesign
| 2008-01-07 03:17